誰が子どもに対して真剣か

2007・12・3のgodmotherの料理レシピ日記から
 いきなりですけど、今までに経験した例から。
 夏のバスケットの練習を終えた子どもが帰宅して、水を沢山飲む姿を見た親が、「あんなに喉が渇くほどの練習をして少し練習が異常じゃないですか。」と言ってきた事がある。何に驚くかというと、その異常と表現するような水の量がどれくらいの量が基準でそうなのかの提示もしないでいきなり「苦情、抗議の姿勢」だ。膝が痛くてもその子の我慢の範囲で練習を続けていた子がいて、その子を見ていた周囲の子が自分の親にその話をしたら、本人の親が聞いて、「どうしてうちの子を休ませないんですか。何かあったら誰が責任を取るんですか」と。このような事は、日常茶飯事の事です。この2例が、何の例としてあげているか分からない親の為に補足します。
 1)自分の経験や常識観念から、正しいという尺度を持ち、それにそぐわない事柄は全て悪とする尺度で物事をはかり、その正義感を楯に他人に責任転嫁する。
 2)自分の子どもの状態を自分で確認するでもなく、他人が感じて言っている事を鵜呑みにし(事実だと決めつけ)徒党を組むように抗議する姿勢。親の身勝手さの例です。
 一番困るのは子どもなんですけどね。
 さて、これらの親からの苦情をどう処理するかです。一般的なことで話すと、①親が煩いし、問題が大きくなると自分のキャリヤーを傷つけるため、親の言うとおりに対処する。②親と争いになるのは避けたいので一応謝る。でも、頭にきたから該当する子どもに親の悪口を言う。また、他の指導仲間と一杯飲んでひたすら愚痴る。③どうしたらいいか分からないので悩み、そのうち重荷になって部活の指導を辞める。
 これくらいが最悪のパターン、且つ最近の学校現場でよくあることです。誰も子どもにとってを考えていない、自分の都合だらけです。指導者と親の狭間でどちらにも気を使い、一番寂しい思いをしているのは子どもなんです。愛情を注がれていないということを敏感に感じ、自分の居場所を失っているのは子どもです。
 このような中で、表面を繕って一見元気に学校へ行っているような子どもでも、中学辺りまでは自分を爆発させる勇気や力がないので我慢している子が多いです。中3にもなると、急に学校へ行かれなくなったり、保健室への登校が始まったりする子もいます。学校へ行かれなくなって、しかもエネルギーのある子は、非行仲間と良からぬ事へと走ります。
 子ども達は皆、寂しくて仕方なく、自分の居場所を探し出した結果このようなことが表面化する場合が多いです。これが部活というシーンだけでなく、いたるところで起こっていることです。
 子どもが必要としている時に親は本当に寄り添っているだろうか。必要としていない時に世話をやき過ぎて、過保護、過干渉になってはいないだろうか。日常、さじ加減ができるくらいの関わりを子どもと持っているだろうか。何処をどう切っても金太郎飴じゃ始まらない。私からと、思わん人から自分の立場で断ち切ることでしょう。心は金太郎飴でいたいです。

続きはいつかまた・・