あるブロガーの丁寧な説明:ブログというシーンを正常化しようという試み・・チャレンジしているなと感じる

“ちょっとだけこのエントリで踏み出すと、いやすでに書いたことなのだが。問題をhashigotanさんという「人」焦点化が進んでいるだけで、hashigotanさん提起の「言説」は、あまり関心が持たれていないように思う。

 別の言い方をすれば、人とのからみのネガティブストロークが煮え煮えになっている空気を理路整然と吸い込みたくない。具体的に言えば、「hashigotanさんがPTSDで、よって、メディカルなケアを受ければいい」というのは、たぶん、hashigotanさんの言説を読んでいるのではなく、そうした類型に対する人への態度、距離感のようなものを表明しているのだろう。hashigtotanさんがどういう人生決定をするかは本人と直接的な関係者の問題で、私には関係ない。

 この問題の一連には、そうした人への態度の距離感の、現代的なネット的なズレがある。私がこの一連で最初に言及したのは、他人の奥さんが妊娠しても(そしてどんな感動のストーリーがあろうが)それは普通の人生の内側のプライベートな感動なのであって、安定期にも達していないなら、無言でよかったねでスルーするべきもの。もちろん個人的にぶくましたいというがあってもいいし、それが1000件ということもあるだろう。でも、この感動を分かち合おうみたいなのとか、それがわからないfinalventはバカ、みたいな展開はありえない。(ついでに、hashigotanさんがそうしたエントリに攻撃したところでそれはhashigotanさんの個人的な言説の活動という以上の意味はない。あるいは、公的に問い掛けられている部分だけが問題たりうる。つまり、抽象化された部分では問題たりうる。)

 あと、finalventアルファブロガーという幻影だけが、敵意の的になっているように、私は思う。でも、この幻影はそう簡単に対処できない。聡明なかたでも、そこが気になっているのかもしれないが。”by:id:finalvent


何度かこのようなエントリーを見かける。その度に、理解してもらえない事に挫折も無く、諦めもなく続けてこられている姿。何故そこまで、この人はこうするのだろうか。と、そのエネルギーの元を私なりに感じた。先にあるのは、人としてのあるべき姿を説こう、伝えようとしているのではないかと。乱れきった今の時代の部分。Twitterもある部分は異常ともいえるコミュの形態をとっていると思う。今のニーズに合ったものだとすると、それは世の中をリーディングするTWが、よほどの覚悟を持ってシステム化するか、個々人が、自分という立ち位地を持って望むべき場所だと感じる。言葉は、全て簡単に流れてしまうということで、言語発言に対する責任性が薄い。逆に言うと、何を言ってもかまわない的な方へ流れやすい。かなり真剣に、真摯な態度で相手に言葉をかけても、受け止め側の取捨選択で簡単にスルーということになり、言い損のような気分にもなる。そのことに振り回されまいとストレスをかけると、感情的な発言になってしまうのは、仕方の無い事。と、簡単に片付けたくない。