何となくだけどね

ちょっと原則的ではないけど☛で、べんとーさんが誤解のないように記事をエントリーしている。これと妙にリンクするのが諏訪哲二『オレ様化する子どもたち』/その1:タイトルと内容および'80年代の先駆けと「オレ様」の「お子ちゃま」化なんだけど☛の記事(これは私の感じるあたり)。元々、誤解があるのかもと判断したべんとーさんが再度言及に至っているけど、やり取り(ぶくまを含む)を見ていて、認めたくない若者の姿「やり込められないぞ」みたいなのを感じる。傍観していてこれがけっこう醜くく映るんだな。ただそれがたとえ間違っていようと、正しかろうと自己主張を誇示しようとするこの世代の象徴というか。このような彼の態度を周りがどう見るかもいろいろあると思う。べんとーさんの言わんとするあたりを理解できていないと、彼の側についてイケイケになるような空気や、わかっている人は、無言というか・・だろ?どうせ。

 彼については、よくぞコメント欄にお出ましくださったな。ここで、べんとーさんのレスに対してどういうスタンスを取るかで、あなたのこれからが大きく変わると思います。別の論調を引っ張り出すか、「そういう考え方も有るね」と頷かせるかはさて置き。どう見ても、べんとーさんの方に今回は軍配が上がるんだけどね。

 何故このような結論になるかというと、始めから切り込むような姿勢をこの青年から感じる。文章にはそんな風には表れている風でもない。べんとー氏の再度のエントリーで大方納得いくのではないか?いかない?だから心に違う物が流れているように見て取れるんだよね。それは、自分にとって凄く損なことをしているよ。あなたが自分をいずれかの形で社会で認知してもらいたいなら、人の話を受け入れる自分と人に物を言いたい自分を切り離し、まず、人の話を聴けるようにならないとまともな人からは何も言ってもらえないと思うよ。べんとーさんのような人はそういないよ。
 「私についてあったら言ってください」と言うのを公言する人がよくいるけど、これ聞こえはいいけど、いざ何かを言うと聴けない人が多い。え〜かっこし〜だろ?